悪癖について考えさせてくださいの回
ちょっと真面目に物事をすると、すぐに茶化さなきゃと思って「うんちマン」みたいに意味のないことを言ってしまう きっと後者で失ったものの方が多い気がする この衝動どうにかならないんでしょうかね (某コミュのDiscordへのpost)
こういう話です。比較的真剣に悩んでいます。
(以降、排泄の話が出てきます。)
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絵を、描くじゃないですか。(突然ですが、私は二次創作のお絵描きをするタイプのオタクです。ここから先、その前提で話が進みます。悪しからず。)ウ〜とかア〜とか唸りながら、一心不乱に推しのイラストを描く。とりわけ推しCPのイチャイチャ絵ともなればもう「真剣」ですよ。真剣に欲望を画面にぶつける。描けた〜〜!!頑張った〜〜〜!!!!みんな〜〜〜〜!!!!!見て〜〜〜!!!!!!!と思いながら、それを押し殺し、煩くない程度に適当な文面を打ち、アップする。2、3分ほどでTLに常在しているフォロワーからの反応が来始める。
そういう折に、つまりはアップした絵の次にツイートする文面である。「見てくれてありがとう」とか、絵の意図等をツイートするのが誠実だろう、と思う。
なんで?
どうした????
シッコの国を作るな*1
しっかり自覚あるのね〜。
と、いうことになってしまう。一つプラスのことをすると、何かマイナス評価になることをしたがる。それ故、カスのおもんないツイートをする。しかも、連投で。
私はこと二次創作では、下ネタやギャグらしい絵を描く方ではない。キャラ単体や、ほどほどのイチャイチャ、デフォルメした絵。どちらかと言えば当たり障りのない二次創作をする方だと自覚している。見ている側からすれば、不気味かもしれない。エッ急に汚いこと言ってるこの人……と思われても仕方がない。実際に、この悪癖でフォロワー数が減る事もある。それでも、毎回、これを、やるのだ。
長年なぜこうしてしまうのか疑問だった。その上、年々これを連投するようになっている。いつかもっと最悪の失言をしてしまう前に、一度理由を考えてみようと思った。お付き合い頂ければ幸いです。
①ハイになってしまっている
作業中はかなり意識が緊張している。私の場合、没頭するように作業をして、できた〜〜〜〜!!!!という解放感と共にアップしている。もうこの瞬間、頭は緊張の糸ゆるっゆるのだるっだるである。でっかいうんちがでたあとの5歳児みたいになる。そんな頭なのだから、カスの思考をする。過負荷からの解放感のままに、さながらそれが潤滑油の役割を負うように、でっかいうんちのツイートを漏らすのだ。だが、でっかいうんちのツイートによって得られる快楽は、実際のでっかいうんち排泄ぶりぶり行為とは比べ物にならない程少ない。残念ながら。してしまった野糞(ツイート)の恥に苛まれる分、マイナスもマイナスである。躁状態で衝動的にしてしまったことに、良いことなんて一つもない。
②恥をかくのが怖いから「恥の前借り」をしている
「恥をかくのが怖い」のに汚物の発言によって「恥」をかくのか?矛盾しているようにも思える。
ものを発表することにより得られるものとは何か。答えは、「褒められ」か、「貶され」である。前者は嬉しい。ありがたい。だが、後者は怖い。そして恥ずかしい。「貶され=恥」である。私はとにかく恥をかくことが嫌いだ。自分が自信を持って取り組んだものに対しては尚更そうである。だからこそ、別の恥で「恥の前借り」をする。
つまりは、自分の精一杯取り組んだことに対して、貶され等により「恥」が発生する前に、別の箇所に「恥・ポイント」を設けておくことで、実際に恥が発生した時に「まあ恥じるべき所、あったよな……」と、自己内に論点の誤謬を生み出し、自意識を守ろうとしているのだ。行き過ぎた自己防衛が、私に矛盾とも取れる行動をとらせる。それでも守られたいので……。
まあ、
つまるところ、
自意識がデッケ〜〜〜〜〜〜〜〜のですわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!
という結論に至ってしまった。情けない。
これを打ちながら思ったことがある。趣味という自己責任の領域だけでこれをやるならまあ良い(損をしても実害は少ないし、これを許してくれる人と付き合っていた方が精神衛生的には良いのかもしれない)のだけれど、思い返せば、仕事等でもこういうことを、していたのかもしれ あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
とりわけ「恥の前借り」は身に覚えがある。人からの「褒められ」によって自己に「思い上がり」が発生する前に、自分を卑下する。うわ〜〜〜!!!よくやってましたね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!っていうかこれもはやこれも②の理由の一部ですね。「貶され」による直接的な恥だけでなく、「褒められ→思い上がり」の、二次的な恥すら恐怖している。どんだけ私は恥が怖いんでしょうか。
これを読んでいる方でもっと心理学的に説明のできる方がいらっしゃいましたら私を救ってください。お願いします。私は信用を捨て、野糞に塗れて死にたくないのです。
誰か……
詳しい人〜〜〜〜!!
やだ〜〜!!!!
たすけて〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
おしり(おわり)
追記
*1:多分作業中めちゃくちゃシッコを我慢していた
2019.02.02
(数年前に某所で書いたワードサラダ風文章の再掲です。)
土間には未だ蒙古斑が走っております。
速いごまが手伝い、毛先を待ち遠しく生かしながらも、我々は釣られまかり通るのです。
はじめはチップを滑り降りる所存でした。酢の方が偶然にも大きく感じられました。あまりにじっと転がっているので、アンドレはもう少し流れて具体的な造りがあるのかと浮いていましたが、スティックの聞こえのいいリズムで揺られます。
そうしているうちに、グロスの毛布が疚しくスモークとひよこの相打ちだと思いました。森と酢は随分売っています。特技に見積もりが目白押しになり、スティーヴと注意しながらもツヤが詳しく改変した後、吹雪と圏外に飛び出ました。お取り扱いをもてなすために、手折られたお刺身に子供と光るのが最高ととり、茫漠とかかる道の駅という香ばしい馬の旅を巻いてしまいました。こればかりは本当にありがとうございます、と、歩道橋が照らされ止まりました。
もう少しでまとめて粧せるので、吊革の潜りをリリースしよろめきつつ在庫と操作しました。履いたドッグと武蔵が測られ、ゴトンゴトンと戦慄きました。
なめらかに次を蒸かせば利益です。
お疲れ様の幸せでした。
クソウミガメのスープ
こんにちは。
以前、Twitterでフォロワーさんと自作“クソ”ウミガメのスープ*1で遊んだので、問題をここに掲載します。
《注意》
- クソ
- うんち
OK?
↓↓ ↓↓
下へどうぞ
↓↓ ↓↓
Q. 男は山に登った。その数日後に男は死んだ。なぜ?
↓↓ ↓↓
以下白字でヒント
↓↓ ↓↓
- 男の職業は?
- 男が登ったのは何の山?
- 男は正気だった?
- うんち?
↓↓ ↓↓
以下正解
↓↓ ↓↓
↓↓ ↓↓
殴らないで〜!
↓↓ ↓↓
A.男が登ったのはうんちの山だったから
男は登山家だった。世界中の山を巡るうちに、まだ見ぬ冒険を、踏破の快楽を求め、密かに狂っていった。
そして世界の山を制覇した男は目標を失い、狂気に呑まれてしまった。男は、公園の小さな丘から、ゴミ屋敷にできたゴミの山、子供の作った砂山に至るまで、山状に盛り上がった全てに登り、踏み締めなければ気が済まないようになっていた。まだ見ぬ山に出会いたい、踏破したい、欲を激らせ、男は執拗に「山」を踏み躙った。そんな男から周囲は離れ、男は孤独と共にますます狂っていった 。
そんな折だった。男がうんちでできたうんちの山の噂を聞いたのは。
うんちの山は、とある国の原住民の集落近くにあった。この原住民は、集落の排泄物を長年同じ場所に捨てていた。排泄物はこんもりと盛り上がり、ごくごく小さな丘のようになっていた。
それは山と呼ぶにはあまりに小さすぎた。だが、狂った男にとっては確かに「山」であった。
狂った男は原住民の制止も排泄物の悪臭もものともせず、うんちの山を登った。
うんちの泥濘に足を取られ、男は転び、うんちに塗れた。だが、それでも踏み躙らなければ気が済まなかった。
ビチャビチャ。ベチョベチョ。
男は踏破の快楽に耽った。
男の身体は、度重なる奇行により、既に細かな傷だらけだった。
男はその傷から破傷風に侵された。登山後、全身を蝕まれた男は、地獄の苦痛に悶えながら息を引き取った。男は自らの狂気に侵されて死んだのだ。
クソウミガメのスープ
「登山家とうんち山」 完
みなさんもうんち登山には気をつけましょうね。
もし時間と信用を捨てても良いという方がいらしゃいましたら、是非遊んで頂ければ幸いです。
*1:みんな大好き水平思考クイズ。出題者の提示した問題に対し、「はい」か「いいえ」で答えられる質問を返し、その情報を手がかりに隠された真相を導き出すゲーム。
夜中にコンビニへ行く
1年半勤めた職を辞め、現在有休消化中である。昼に起き、適当なものを食べ、一眠り。日が傾いてからもぞもぞ動き出し、夕方17時にハンバーガーを食べる。帰宅して手慰み程度にごく狭い範囲を掃除して、また一眠りする。気付いたら日付が変わっている。お腹が空いた。
インナーにカーディガンを羽織っただけ、ヨレヨレのスウェット、突っ掛けのサンダルで這い出る。着のみ着のままってこれだ。財布に1000円と少ししか入っていない。WAONにしかチャージがないのにセブンイレブンに来る。ウロウロする。見知った店員。なんとなく後ろめたくて顔が見られない。後から入ってきた若い男。さっと買い物を済ませて出て行く。私はまだウロウロ。虚ろ。食欲があったのかもわからなくなった。惰性で塩むすびを取る。なんとなく、具の入ったおにぎりに疚しさを感じる。身の丈に合わない贅沢じゃないか、夕方にはマックも食べたのに。もちろんそんなことは無いはずなのに。後ろめたさで生きている。
職を辞めてから3日ぐらいは浮ついていたのを覚えている。わーい!辞めたぞ!とことんダメになってやる!“ダメ”な生活の代名詞が「夜中のコンビニ」だった。意味もなく出向き、ダメそうなものを買った。アイス、酒、スナック菓子。わざわざ“ダメ”をする才能がない。中学生の不良の方がまだもっと“ダメ”をできるでしょ。わざわざする“ダメ”の才能はないが、“ダメ”になる才能はあった。一日1時間ぐらいずつ、生活リズムが遅れて行く。一週間ほどで、夜型の生活になる。明るくなったらゴミを捨てる。時間ができたので断捨離ができる。浅い眠り。犬の鳴き声、ゴミ回収の車、小学校のチャイム。ひとつひとつに感じてしまい、目が覚める。嫌だなあ、嫌だ。ちゃんと営みをしたい。
塩むすびとエナドリで300円ほど。小銭で事足りて、1000円札を崩さずに済む。なんとなく後ろめたさが緩んだ気がする。夜風は涼しい。夏でも秋でも無い風。「何でもない」を感じる。近々私は何でもない無職になる。移ろうこと、できればな、と思う。
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